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"MacGregor The Greatest Name in Golf"と称賛され、ゴルフ界に多くの足跡を残してきたマグレガー社が 創立120周年を迎えた。
ゴルフクラブ及びゴルフ関連用品の制作会社として一世紀以上も活躍している稀有な存在だ。

マグレガー社の歴史を辿ってみると、「The Greatest」と呼ばれるだけの背景がある。
日本が江戸時代中期頃の1822年、ArchibaldとZiba Crawfordという兄弟が米国オハイオ州デイトンに移住してきて"木細工"関連の交易会社を設立、時を経て1829年にはその技術を活かし、靴木型を主とする"Dayton Shoe Last Co."へと発展させた。
当時としては珍しい電動のコピー機械を開発して量産体制を整え、会社は大きく飛躍することとなる。
多くの企業家が事業参加を希望したが、Crawfordはデイトンの企業家、Edward Canbyと組み、"CRAWFORD & CANBY"社を1886年に設立するに至る。
1895年、Canbyが商用でイギリスに出張した折、St.Andrewsの有名なクラブメーカー、"Robert Forgan"の下でクラブ製作やゴルフに関するノウハウを学んだスコットランド人、John Mcgregor(MacGregor社の社名となった人物)と知遇を得る。Mcgregorからゴルフに関する多くの知識を得たCanbyは彼と意気投合し、Mcgregorを米国に招聘することに決めた。帰国したCanbyはCrawfordにゴルフ事業への参入を薦め、1897年"CRAWFORD,McGREGOR & CANBY"社を創立した。この時からMACGREGORとしてのクラブ作りが始まった。

創立当初の1899年、ビジネスの為スコットランドからアメリカへ移住してきたゴルフプロでクラブ製作者、コース設計家としても有名なWilliam Dunn Jr.がクラブ製作やゴルフビジネスのノウハウをマグレガー社に伝授したことはその後のマグレガー社にとって大きな財産となった。何故なら通称ウイリー・ダンは1894年、数名で開催された全米オープンの前身大会に優勝、翌年の第一回大会ではランナーズアップになったほどの巧者であり、かのシネコックヒルズのコース監修にも携わったほどゴルフを知り尽くした人物だったからだ。

幸運もあった。元々靴の木型の材料にはブナの木を使っていたが、パーシモン材に替えたところ、子供用の木型ブロックが丁度クラブヘッドの大きさと合致、大量のウッドヘッドを生産でき、折からのゴルフブームも手伝い、1900年当時には10万個ものウッドヘッドを輸出するまでに急成長を遂げたのである。

靴の木型作りで木の性質を熟知し、木型の曲面、曲線作りがウッドクラブの開発、製造に役立ったことは言うまでも無く、「ウッドのマグレガー」としての地位を固めていったのである。1930年頃から1970年代にかけて、「スポルディング」、「マグレガー」、「ウイルソン」(設立順)は米国のクラブ業界において"御三家"と呼ばれていたが、1935年、マグレガー社は当時のスーパースターであったTommy Armourを契約プロとして迎えた。「銀髪のスコットランド人」(Silver Scott)と呼ばれた彼は、1927年に全米オープン、1930年に全米プロ、そして1931年には全英オープンのチャンプとなっており、人気絶頂にあった彼の名をヘッドに刻印したトミーアーマーシリーズがマグレガーの主要モデルとなった。

一方1941年からは"TOURNEY"シリーズも登場、これらのウッドは厳選されたパーシモンブロックをオイル漬けにし(oil hardened)約20%増の強度を得ることで耐久性と反発力の強さという福音をも得て大きな飛距離アップに成功。マグレガーのウッドは他社の追随を許さないウッドの王座を勝ち得たのであった。

さてマグレガーを語るときに決して忘れてはならないのがプロモーターであり、クラブデザイナーとして数々の名器を作り上げ、マグレガーの地位を揺るぎないものにする貢献をしたToney Pennaである。彼自身がプロゴルファーであることもあって、プロモーターとしても才能を発揮し、人気若手プロのJimmy Demaret、後にツアー13連勝という不滅の記録を樹立したByron Nelson、そして鉄人と呼ばれたBen Hoganらをマグレガー契約スタッフとして迎えることに成功した。彼らの活躍はマグレガーウッドの優秀性を証明してみせたのだった。Pennaがデザインした「ターニーM85 E・O・M」シリーズは他社の契約プロをして「是非にも使ってみたい」と言わせるほどの衝撃を与えた。何故それほどPennaのデザインは優れていたのか。答えは人間が物事を判断する「脳と目」に直接訴えるデザインであったからである。

例えばアイオマティックインサートの三段色は方向取りに役立ち、特に真ん中の段はスイートスポットに集中しやすくしてナイスショットの予感を高め、クラウンに刻印されたウイングマークは打球が大空に舞う予感を与えるなど、使い手の心理面に訴える素晴らしいデザインであったと言える。彼のデザインしたクラブは安心感と刺激をプレーヤーに与え、機能的にもフェース面に縦横のアールを施した「4ウェイロール」が、打球にギア効果をもたらせるなどの評価が高まり、爆発的な販売数を記録することとなったのである。

マグレガーのウッドは20世紀最高のプレーヤー(The player of the century)に選ばれた帝王Jack Nicklaus, Tom Weiskopf, Ben Crenshawのマグレガー勢を始め、契約外のJohnny Miller, Tom Watson, そしてSeve Ballesterosらも愛用者となっていた。当時のプロの多くはクラブ使用契約を結ぶとき、ドライバー、パター、ウエッジの3本を除外して契約していたという。三種の神器とも言える3本は契約に縛られたくない。それはゴルフを生活の糧としているプロにとっては当然のこだわりだったのだろう。
因みに1937年から1959年の間、マグレガー契約プロは、

全米オープン6回
マスターズ8回
全米プロ11回
全英オープン1回
賞金王11回

の成績を収めている。
また1940年代から1950年代にかけてゴルフクラブの40%のシェアを誇り、正に黄金時代を迎えていた。

今回創立120周年を記念して製作された「ターニーM85 Eye-O-Matic」は、パーシモンヘッドからチタンヘッド、スティールからカーボンシャフトへと様変わりしているが、初代モデルの特徴を良く表現しており、重厚感と安定感を持つ丸味を帯びたシェイプとなっている。マグレガーカラーのダークグリーンで統一され、しっとり感を醸し出しており、洒落たクローバーソール、Eye-O-Maticインサートとウイングマークなど現代のゴルファーの脳をも刺激する要素に溢れている。

偉大なデザイナー、Toney Pennaはキャディから身を起こし、マグレガー社の副社長まで登りつめた人物であった。今回甦ったM85を見て、天国で嬉しそうに笑っているPennaの顔が目に浮かんだ。

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